
国際機密保持法を受け、イギリスでは魔法省が設立されました。
18世紀
- クィディッチがオーストラリアに伝わりました。
- アメリカの魔法使い、アブラハム・ピースグッドがクォドポッドを考案しました。
- 18世紀初頭、サラザール・スリザリン自身の著述も引用した研究書数冊が「魔法使いが純血であることを示す指標」に触れていました。
- 18世紀初頭、バーナバス・デベリルが「庭床の杖」を使って恐怖政治を行いましたが、間もなくロクシアスに敗ればした。ロクシアスは杖を「死の杖」と改名しました。
- ホグワーツ城に配管設備が導入され、トイレが作られます。「秘密の部屋」の入口が新しくできるトイレの予定地にあったため、コルビヌス・ゴーントは秘密の部屋の入口を女子トイレに再び隠しました。
1703
- エドガー・ストラウルガーが生まれます(‐1798年)。のちに「かくれん防止器」を発明しました。
1707
- イギリス魔法省が設立され、初代魔法大臣にユーリック・ガンプが就任しました(‐1718年)。主な功績は魔法法執行部の創設です。
1709
- ワーロック法により、ドラゴンの飼育が非合法化されました。
1711
- 泥に紛れて見つからなかったことをきっかけに、クァッフルが紅く塗られるようになりました。間もなく、魔女デイジー・ペニフォールドが「ペニフォールド・クァッフル」を発明し、クァッフルは魔法をかけられゆっくり降下するようになります。
1717
- 「服従の呪文」「磔の呪文」「アバダケダブラ」が「許されざる呪文」に制定され、同類であるヒトに対しての使用には厳しい罰則が設けられました。
1718
- ダモクレス・ロウルが「反マグル」を掲げて支持を集め、魔法大臣に就任(‐1726年)します。アズカバンを監獄として使用することを決定しました。
1722
- ディリス・ダーウェントが聖マンゴの癒者として働き始めました。
- ヒッポグリフが何者かを襲い、危険生物処理委員会により有罪になりました。
1726
- 魔法大臣ダモクレス・ロウルが国際魔法使い連盟からの激しい非難を受けて失脚します。
- 後任にパーセウス・パーキンソンが選ばれました。
1733
- エルドリッチ・ディゴリーが魔法大臣に就任しました。
1741
- 癒者の魔女ディリス・ダーウェントがホグワーツ魔法魔術学校の校長に就任します(在任:〜1768年)。
1742
- グローバー・ヒップワースが生まれました(‐1805年)。元気爆発薬の発明で知られています。
- 薬草学の先駆者ボーモント・マージョリバンクスが生まれました(‐1845年)。
1747
- アルバート・ブートが魔法大臣に就任しました。
1749
- 吸血鬼も関わる国際機密保持法の違反が起こり、何らかの再発防止策が取られました。
1750
- 魔法省に魔法ゲーム・スポーツ部が設立されました。
- 国際魔法使い機密保持法第73条が追加されました。
- 魔法鳥類の専門家、ガリバー・ポークビーが生まれました(‐1839年)。
1752
- イギリスで小鬼の反乱が起こりました。対応を誤ったため、魔法大臣アルバート・ブートが失脚します。
- 後任のバージル・フラック、小鬼と狼人間が手を組んだためにわずか2ヶ月で辞任しました。
- 闇祓いヘスフェスタス・ゴアが魔法大臣に就任しました。
1762
- クレオスシアンが非合法になりました。
1770
- マクシミリアン・クラウディが魔法大臣に就任しました。
1781
- 魔法大臣マクシミリアン・クラウディ、在任中に謎の死を遂げました。
- 後任にポーテウス・ナッチボールが就任しました。
1782
- フラビウス・ベルビー(1715年‐1791年)がパプア・ニューギニアでレシフォールドに襲われましたが、幸い一命を取り留めました。
- 魔法大臣ポーテウス・ナッチボールは、マグルの首相ノース卿から国王ジョージ3世の不安定な心を治せないか相談を受けます。ノース卿は「魔法使いの存在を信じている」との噂が広まり、不信任決議で職を追われました。
1789
- アンクチュオス・オズバートが魔法大臣に就任します。
1790
- アメリカで魔法族と非魔法族の交流を禁じるラパポート法が制定されました。
1792
- この年の三大魔法学校対抗試合で怪物の「コカトリス」が逃げ出し、校長3人が負傷しました。
1793‐1794
- ボーバトン出身の魔法使い、トレフルピック公ヴァンサンは自らの首に隠蔽呪文をかけ、既に首が切り落とされたふりをして恐怖政治時代をやり過ごしました。
1794
- 昔話の書き換え『毒キノコ物語』で悪名高い魔女、ベアトリクス・ブロクサムが生まれました(‐1910年)。
1795
- クリスピン・クロンクが生まれます(‐1872年)。度重なる警告にも関わらず、スフィンクスを自宅の裏庭で飼育したことでアズカバンに投獄されたことで知られています。
1798
- アルテミシア・ラフキン(1754年‐1825年)が初めての女性魔法大臣に就任しました。
1799
- ウクライナ・アイアンベリー種のドラゴンが黒海沖で小型帆船を連れ去ります。以来ウクライナ魔法当局はアイアンベリー種の常時監視を行うようになりました。
- トロールの研究者ゴンドリン・オリファント(1720年生まれ)が、コッツウォルド丘陵でスケッチ中に棍棒で殴られ命を落としました。
19世紀
1800年代初期
- 最初のシュレイク(全身針に覆われた魚)の群れが創られたのがこの頃だといわれています。
1802
- ノルウェー・リッジバック種のドラゴンがノルウェー沖で子鯨をさらったとされます(未確認情報)。事実であれば、ドラゴンにしては珍しくノルウェー・リッジバック種は水中の動物を食することがわかります。
1803
- 糞爆弾の発明者、アルベリック・グラニオンが生まれました。
1809
- クィディッチ・ワールドカップが西シベリア平原で行われました。選手の1人ニコ・ニナドが平原の端にある森全体に呪いをかけ、ルーマニア対ニュー・スペインの決勝戦中にわざと森にブラッジャーを打ち出しました。森の木々は地面から根を抜いて行進し、あらゆる物を踏みつぶしながらスタジアムを襲いました。
1811
- 魔法大臣グローガン・スタンプは、「ヒトたる存在」を「魔法社会の法律を理解するに足る知性を持ち、立法に関わる責任の一端を担うことができる生物」と定めました。
1814
- スコットランドのクィディッチ・チーム、バンコリー・バンガーズが最後のプレーをしました。
1820
- エリオット・スメスウィックがクッションの呪文を発明しました。
1824
- ガリバー・ポークビー著『オーグリーが鳴いた時、私はなぜ死ななかったか』、リトル・レッド・ブックスから発行されました。
1833
- 2月12日:『日刊予言者新聞』にクィディッチのゴール用バスケット廃止の記事が掲載されました。
1836
- 魔法使いの芸人ザビエル・ラストリック(1750年‐)、ペンズウィックでタップダンスを披露している最中に突然姿を消します。以来行方不明となりました。
1875
- 「握り呪文」が発明され、クァッフルにも利用されるようになりました。
1879
- ポーツマスの箒職人エリアス・グリムストーンにより、オークシャフト79の最初の作品が作られました。
1884
- ボドミン高地のクィディッチの試合で、スニッチが半年間捕まらなかったとの記録が残されています。
- 6月21日:「打ちのめし作戦ペナルティ」が発効されました。
1892
- チャドリー・キャノンズがリーグ優勝したのはこの年が最後です。
1894
- アップルビー・アローズの矢を放つパフォーマンスが禁止されました。
1897
- 魔法動物学者、ニュート・スキャマンダーが生まれました。
19世紀末
- ヒトを好んで食することから、ペルー・バイパーツース種のドラゴンの駆除が始まりました。