シリウスが死んだ時の思い出

一部の方を発狂させそうなタイトルですが、何のことはない。要するにわたしが『不死鳥の騎士団』を読了した時の話です。

ご無沙汰してます

Twitterにも中々浮上できずに数ヶ月が経過。気づけばアルバス・セブルスが入学する去年の9月1日にイギリスに行った前後を最後に、ポタクラ界隈にはあまり顔を出さなかったなーと思います。

今まで自分の周りにハリポタ好きがあまりいなかったせいか、あまりハリポタガチ勢だということをリアルの友達には明かしていませんでした。

ところが最近、イギリスに行く話をしたりいろいろあり、あっという間にそんなことはバレてしまい、もはやリア垢とポタ垢を分ける必要があるのかという感じです。

昔のことをいろいろと話していたら、変なことを思い出したので書いてみようと思いました。その名も、シリウスが死んだ時の思い出。

思えば、ハリポタと出会ったのは…

わたしが『ハリー・ポッター』に出会ったのは2002年、小学校2年生の時(おっと、年がバレますね)。実は家族で最初にハリポタに触れたのはわたしの父と妹で、優待券でももらったのか何だったのか、『秘密の部屋』の映画を二人が見に行ったんですね。

二人はその足で前作の『賢者の石』のDVDを買い、家に帰ってきました。そしてすぐに鑑賞会。そこでわたしも『賢者の石』を見ました。

きょうだいが多く、さらに両親のことを常日頃からうざったいなあと思っていたわたし。ホグワーツの寄宿舎生活に憧れました。まもなく父は原作本も購入し、父が読んだ後わたしがそれを借りることになりました。

ハマったハマった。だから今のわたしがあります。

当時日本語訳が発売されていたのは『アズカバンの囚人』までの3作。読み終わっては父にねだり、次巻を買ってもらいました。小学校2年生の頭には、どういうわけかシリウスとピーターが入れ替わった件の理解が難しく…3回くらい読み返してようやく理解した覚えがあります。そうこうしている間に『炎のゴブレット』が発売されました。あっという間に読み終え(なぜかクラウチ・ジュニアとマッド-アイの入れ替わりはすぐに理解できた)、次巻発売を今か今かと待ちわびる小学2年生でした。

この時点でお気に入りのキャラクターはダントツでシリウス・ブラック。そんな小学生は、皆さん知っての通り、5巻発売で悪夢を見ます……。

そして、シリウスが死んだ

小学4年生のときです。5巻の発売前、近くの書店で意気揚々と予約をし、発売されたその日に学校から帰るなり『不死鳥の騎士団』を買いました。読み進めても読み進めてもまだ先が長い。7巻あるうち一番厚い巻でしたもの。

運の悪いことに、シリウスが死んだ現場をわたしが読んだのは、小学校の昼休みでした。学校にいるというのに、涙が止まらない止まらない。でも、教室には何人かクラスメートがいます。

泣いてるのが見つかれば無駄に心配されるに違いない。お気に入りのキャラが死んだから泣いてるなんて言えば、バカにされるに違いない。

わたしはシリウスの死を受け止めきれずに涙を流す一方、どこか冷静に一人で涙を流せる場所を探していました。

トイレに行って泣くことも考えました。でも、トイレに行って泣くなんて、そんなわたしを見つけた人は、もっと陰湿な何かを想像するに違いない、わたしはそう思ったのです。

そしてどうしたわけか、わたしは本を持ったまま校庭に飛び出しました。みんながサッカーやらドッジボールやら鉄棒をしている脇をしれっと通り抜け、校庭の隅っこを目指しました。そこには、体育の時に使う用具をしまう小屋と、みんなが休み時間に遊ぶ一輪車をしまう小屋がありました。小屋の裏なら、みんなに気づかれずに済むに違いない、わたしはそう思ったのです。

涙は止まらないけれど、何とか本は読み進めたかったのです。ベラトリックスを追いかけようとするハリーを、ルーピンが止めている場面で永遠に留まっているわけにはいきません。やっとの思いで、ページをめくっていきました……

「こんなところでほんよんでるひとがいるー!」

「へんなのー!」

心が落ち着いてきたのもつかの間、デリカシーのデの字も知らない1年坊主に見つかりました。もう大人になったわたしはわかります。校庭の隅っこの小屋の影で本を読んでるとか意味がわかりません。でもその時のわたしはこう怒鳴りつけてやりました。

「うるせえ、ジャマすんなコルァ。あっち行け!」

まあ、邪魔しないでほしかったんです。あの時の名前も知らない1年生には怖い思いをさせたことでしょう。でも、そっとしておいてほしかったんです。だって、シリウスが死んだんだもの……。ハリーの目の前で、冤罪だって晴れることなく、真に自由にならないまま死んでしまったんだもの……。

泣くのは恥ずかしいことじゃないぞ

以上、シリウスがヴェールの向こう側に行ってしまった時の、わたしの思い出でした。

わたしは子どもたちに伝えたいです。本を読んだり、映画を見たりして泣くことは恥ずかしいことじゃありません。思えば、恥ずかしいことじゃないってわかってれば、小屋の後ろでコソコソ泣きながら本を読むこともなかったんです。

そして周りの人たちへ。本を読みながら泣いてる子を見つけたら、それが本を読んで泣いているんだとわかれば、そっとしておいてあげてください。その子が必要なのは何か悲しいことを受け止めるための、一人の時間なのです……。