
『ハリー・ポッターと賢者の石』第1章は、シリーズのプロローグ的役割の章です。
主人公であるハリーの何が特別なのか、そしてハリーとハリーの宿敵になる人物との関係が示されています。
あらすじ
プリベット通り4番地に住む、バーノン・ダーズリーとペチュニア・ダーズリーの夫妻は、不思議とか神秘とかといった非常識はまるっきり認めないタイプで、まか不思議な出来事が2人の周辺で起こるとは、とうてい考えられません。バーノンは穴あけドリルを製造するグラニングズ社の社長です。ペチュニアは主婦で、ご近所の様子を詮索するのが趣味でした。夫妻にはダドリーという一人息子がいて、2人はダドリーを溺愛していました。
1981年11月1日(火)、ダーズリー一家はいつものように朝を迎えましたが、窓の外を大きなふくろうが飛び去って行ったことには気づきません。バーノンは職場への道すがら、地図や標識を読むトラ猫を見かけます。街はずれでいつもの朝の渋滞に巻き込まれていると、マントを身につけた人々が目につきました。お昼にパン屋に買い物に出かけると、またバーノンはマントを着た集団に出くわし、今度は「ポッターさんたち」「息子のハリー」という言葉を聞こえてきたので、恐怖が湧き上がってきました。
というのも、ポッター一家はペチュニアの妹の一家でしたが、ここ数年1度も会っていません。ペチュニアは妹などいないというふりをしていて、ダーズリー夫妻はポッター一家のことが他の人に知られるのを恐れていました。
5時、バーノンが職場を出ると、スミレ色のマントを来た小さな老人と正面衝突してしまいました。バーノンが謝ると、老人はバーノンを抱きしめます。老人はさらにこう言いました。「例のあの人」がいなくなったのだから、あなたのような「マグル」の人々も、こんなめでたい日はお祝いすべきだ、と。
バーノンが家に戻ると、あのトラ猫はまだプリベット通りにいました。ニュースでも、ふくろうの大群や花火の土砂降りといったおかしな話がなされています。バーノンはペチュニアに妹から便りがなかったか尋ねると、ペチュニアは怒った顔をして便りはないと答えました。そこで、バーノンがさりげなく甥の名前を確かめたところ、ペチュニアは「ハリー」だと言いました。その夜、バーノンはなかなか眠りにつけませんでした。
バーノンがようやく眠りについたころ、プリベット通りにアルバス・ダンブルドアという男が現れます。ダンブルドアはあのトラ猫に「マクゴナガル先生」と声をかけると、トラ猫は人間の女性の姿になりました。ダンブルドアとマクゴナガルは、ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターが「例のあの人」によって殺されたこと、2人の息子ハリーは生き残ったことを話します。そして、「例のあの人」はたくさんの人々を殺してきたのに、どういうわけかハリーを手にかけられなかったばかりでなく、「例のあの人」の力は打ち砕かれ、姿を消してしまったというのです。
やがて、空飛ぶバイクで現れたのは、大男のルビウス・ハグリッド。ハグリッドは小さな赤ん坊のハリーをプリベット通りに連れてきました。ハグリッドは毛布に包まれたハリーをダンブルドアに委ねます。そしてダンブルドアはダーズリー夫妻宛ての手紙と一緒に、ハリーをプリベット通り4番地の家の戸口に残しました。
ハグリッドは空飛ぶバイクを持ち主のシリウス・ブラックへ返しに行き、マクゴナガルはまたトラ猫の姿に変身すると、プリベット通りを去りました。ダンブルドアも、跡ひとつ残さずにプリベット通りから消えてしまいました。
ハリーは自分が特別だとも、有名だとも知らず、プリベット通り4番地の戸口で眠り続けていました。こうして眠っている間にも、人々が杯を掲げていたのでした――「生き残った男の子、ハリー・ポッターに乾杯!」
データ
登場キャラクター
初登場
再登場
シリーズ最初の章なので、いません。
できごと
- 1981年10月31日:ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターがヴォルデモートに殺害されました。息子のハリーは辛くも生き残ります。
- 1981年11月1日:ルビウス・ハグリッドがハリーをゴドリックの谷から連れ出し、プリベット通り4番地に連れてきます。アルバス・ダンブルドアの命でハリーはダーズリー夫妻に預けられます。
- 1981年11月2日:朝、玄関に置き去りにされたハリーを、ペチュニアが見つけます。
用語
地名
- プリベット通り
- プリベット通り4番地
- イギリス
- ケント州
- ヨークシャ州
- ゴドリックの谷
- ブリストル
- ロンドン
アイテム
- マント
- 灯消しライター
- レモン・キャンディー
- (アルバス・ダンブルドアの)金時計
- (シリウス・ブラックの)空飛ぶオートバイ
組織・団体
- グラニングズ社
生物
- ふくろう
- 猫
そのほか
- マグル
- 『ガイ・フォークスの焚き火祭り』
ノート
- 1981年11月1日は、実際には日曜日。