セドリック・ディゴリーは魔法使いで、エイモス・ディゴリーとディゴリー夫人の息子。ホグワーツ魔法魔術学校ではハッフルパフ生で、監督生であると同時にクィディッチ代表チームのキャプテンを務めた。
1995年、6年生の時に三大魔法学校対抗試合のホグワーツ代表に選ばれた。第一の課題、第二の課題をともにクリアし、第三の課題が始まる時点では(予期せぬ形でもう一人のホグワーツ代表となっていた)ハリー・ポッターと同点で1位であった。第三の課題のゴールにはハリーと同時に辿り着き、セドリックとハリーは同時に優勝杯に触れた。しかし、優勝杯はポートキーに変えられており、二人はリトル・ハングルトンにある墓場へと連れて行かれ、セドリックはヴォルデモート卿と合流していたピーター・ペティグリューによって殺害された。
セドリックの死から程なくして、ハリーとヴォルデモート卿は兄弟杖同士で戦うこととなった。ヴォルデモート卿の杖に直前呪文が発動し、セドリックの霊魂がゴーストよりもしっかりとした姿で現れた。セドリックは自分の体を両親のもとに連れて帰ってくれるようハリーに頼み、ハリーもそれに応じたのだった。
来歴
- 誕生
- 1977年9月または10月
- 死没
- 1995年6月24日(享年17) イングランド リトル・ハングルトン 墓場
- 家系
- 混血または純血
- 婚姻状況
- 独身
- 肩書き
-
- 監督生
- 寮代表クィディッチチーム・キャプテン
- シーカー
- 三大魔法学校対抗試合ホグワーツ代表
- 出身校
- ホグワーツ魔法魔術学校(1989年入学)
- 出身寮
- ハッフルパフ
- グループなど
-
- クィディッチ・ハッフルパフ寮代表チーム
幼少期
- 1977年9月または10月
- エイモス・ディゴリーとディゴリー夫人の息子として誕生。
- 1989年夏
- ホグワーツ魔法魔術学校から入学許可証が届く。
セドリック・ディゴリーは1977年9月もしくは10月、父エイモスとその妻との間に生まれた。ディゴリー家はセント・オッタリー・アンド・キャッチポール村の近くにあり(*4巻6章)、そこで育ったものと考えられる。
学生時代
1年生~5年生
- 1989年9月1日
- ホグワーツ魔法魔術学校に入学。ハッフルパフ寮に組分けされる。
- 1993年夏
- ハッフルパフ寮の監督生・クィディッチ・チームのキャプテンに選ばれる。
- 1993年11月の土曜日
- 悪天候の中、グリフィンドール対ハッフルパフのクィディッチの試合が行われる。セドリックがスニッチを獲得し、100点差でハッフルパフの勝利。
- 1994年2月末ころ
- ファイアボルトを手に入れたハリー・ポッターに対し、祝福の言葉をかける。
6年生
外見
- 種
- 人間
- 性別
- 男性
- 髪の色
- 黒
- 瞳の色
- グレー
鼻筋がすっと通り、黒い髪にグレーの瞳というずば抜けたハンサムで、このごろでは、セドリックとクラムのどちらが憧れの的か、いい勝負だった。『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』第18章
能力
- 杖
- トネリコ、ユニコーンの毛、30センチ(12と1/4インチ)、心地良くしなる
杖の材質は三大魔法学校対抗試合での杖調べの際に明らかにされている。
監督生であることから各教科の成績も優秀であると考えられる。事実、炎のゴブレットによって三大魔法学校対抗試合のホグワーツ代表に選ばれた。またスポーツの才能も見られ、ハッフルパフ寮代表クィディッチチームのキャプテンを務めた。
家族
- 父
- エイモス・ディゴリー
- 母
- ディゴリー夫人
- 祖先の可能性
-
- エルドリッチ・ディゴリー
父、エイモス・ディゴリーは魔法省の魔法生物規制管理部に勤める魔法使い。母の名前は明らかにされていないが、4巻でわずかに登場している。一家はセント・オッタリー・キャッチポール村の近くで暮らしている様子である。
エルドリッチ・ディゴリーは歴代の魔法大臣の一人。
表記
- 邦訳
- セドリック・ディゴリー
- 原書(英語)
- Cedric Diggory
登場・言及箇所
- 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
- 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
- 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(言及のみ)
- 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(言及のみ)
- 『ハリー・ポッターと死の秘宝』(言及のみ)
- 『クィディッチ今昔』
- ポッターモア
映画
- 俳優
- ロバート・パティンソン
- 登場
-
- 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
- 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』
セドリック・ディゴリーの映画初登場は第4作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』。ロバート・パティンソンが演じている。
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』でもわずかに姿が見られる。