クィディッチ・ワールドカップ
この記事には、現在日本語で読めないポッターモアの情報が含まれています。とくに2014年大会の決勝実況は、日本語版が最後まで公開されませんでした。
クィディッチ・ワールドカップ (Quidditch World Cup) は、4年に一度開かれるクィディッチの国際大会です。魔法界でもっとも重要なスポーツ競技とされ、決勝の観客は100万人に上るともいわれます[1]。
歴史
起源
ICWQC が編む『クィディッチ・ワールドカップ公式ガイド』によれば、大会は1473年から4年ごとに開かれてきました。もっともこのガイドは39ガリオンという値がつけられており、法外だという声が絶えません[1:4]。
開始年については異論もあります。15世紀から16世紀にかけて参加していたのは欧州のチームだけだったため、全大陸に開かれた17世紀こそが本当の始まりだとする人々がいるのです。過去の大会記録の正確さについても、魔法による違法行為があったかどうか、それが結果を左右したかどうかが、ほとんどの試合について議論されてきました[1:5]。
その第1回大会(1473年)の決勝は、記録の面でも際立っています。魔法ゲーム・スポーツ部が記録している700の反則すべてが、この一試合で犯されたのです。反則の全一覧は魔法界に公開されていません。見た者が「思いつく」かもしれない、というのが同部の見解です[2]。
国際機密保持法
1692年の国際機密保持法施行が転機になりました。これほど多くの魔法族が国境を越えて一箇所に集まる行事を、国際魔法使い連盟は最大級の保安上の危険とみなしたのです[1:6]。
抗議と脅迫が相次いだ末に大会の存続は認められましたが、規制機関として ICWQC が設けられました。その役目は、適切な開催地——人里離れた荒れ地、砂漠、無人島など——を選ぶこと、観客の交通手段を確保すること、そして試合の取り締まりです。最後の業務は、魔法界でもっとも報われず難しいと言われています[1:7]。
大会の仕組み
参加国の数は毎回変わります。魔法族の人口が少ない国では基準を満たすチームを作れないことがあり、国際紛争や災害も参加数に影響するためです。ただし決勝から12か月以内であれば、どの国でも次の大会へ登録できます[1:8]。
参加チームは16のグループに分かれ、2年をかけて総当たり戦を行います。グループ戦の試合時間は選手の疲弊を防ぐため4時間で打ち切られるので、スニッチが捕られないままゴール数だけで決着する試合も出てきます[1:9]。
勝ち点は次のように与えられます[1:10]。
| 条件 | 勝ち点 |
|---|---|
| グループ戦での勝利 | 2点 |
| 150点差以上での勝利 | さらに5点 |
| 100点差での勝利 | さらに3点 |
| 50点差での勝利 | さらに1点 |
勝ち点が並んだ場合は、スニッチを最も多く、あるいは最も速く捕ったチームが上位に立ちます。勝ち残った16チームは勝ち点の順に並べられ、最上位が最下位と、2位が15位と当たるように組み合わされます。理論上は、最強の2チームが決勝で顔を合わせることになります[1:11]。
審判は ICWQC が選びます[1:12]。
悪名高い大会
大会の結果が誰もを納得させることは稀ですが、なかでも語り継がれているものがあります。ここ数世紀でもっとも悪名高いとされる1994年の決勝については、後述の「第422回大会」で扱います。
1809年 — 「死の森」の襲撃事件
ルーマニア対ニュー・スペイン(現在のメキシコ)の決勝は、選手個人の激情が引き起こした最悪の事件として魔法界の歴史に残りました[1:13]。
ニコ・ニナドの荒れようは準々決勝と準決勝の時点でひどく、仲間が決勝から外すようコーチに頼んだほどでしたが、聞き入れられませんでした。試合開始から2時間、劣勢に立たされたニナドは、わざとブラッジャーを場外の森へ打ち込みます。すると木々が意志を持ち、根を引き抜いて競技場へ行進しはじめました。試合は木と人間の戦いに変わり、7時間の激闘の末に魔法使い側が辛くも勝ちます。ニナド自身は戦いの序盤でトウヒの木に殺されたため、訴追されることはありませんでした[1:14]。
1877年 — 誰も覚えていない大会
ICWQC は1473年以来一度も途切れずに大会を開いてきたことを誇りにしています。戦争も悪天候もマグルの介入も、魔法使いがクィディッチをすることを止められなかった証だからです。ところが1877年だけは事情が違いました[1:15]。
大会は確かに計画され、会場(カザフスタンのリン砂漠)も決まり、宣伝もチケットの販売も行われました。しかし8月になって魔法界が気づいたのは、誰ひとりその大会の記憶を持っていないという事実でした。チケットを買った者も、出場したはずの選手も、何も覚えていなかったのです[1:16]。
異常はそれだけではありません。イギリス代表のビーターは膝が逆向きについており、アルゼンチン代表の半数は縛られてウェールズのカーディフにあるパブの地下室で見つかりました。小鬼解放戦線による大規模な忘却術説、記憶の混濁を起こす「脳性黒斑病」の流行説などが取り沙汰されましたが、真相は分かっていません。結局1878年に改めて開催され、以後4年ごとに続いています。「1473年から4年ごと」という数え方がわずかにずれているのは、このためです[1:17]。
1974年 — 化け笛
1971年、ICWQC は国際長官にオーストラリアの魔法使いロイストン・アイドルウィンドを任じました。1966年の優勝チームの一員だった元選手ですが、観客の管理について強硬な考えの持ち主でもありました。チェイサー時代に数々の呪いを浴びた経験がそうさせたのでしょう。「クィディッチで好きになれないのは観客だけだ」という彼の発言はファンの反感を買い、ICWQC 職員以外の杖の持ち込みを禁じるに至って、反感は敵意に変わります[1:18]。
多くのファンが1974年大会のボイコットを宣言しましたが、無観客こそ望むところだったアイドルウィンドには通じませんでした。大会は予定どおり開かれ、そこで現れたのが「化け笛」です。色とりどりの管状の楽器で、大きな声援を発し、各国の色の煙を吐きました[1:19]。
化け笛は大会が進むにつれて流行し、観客も戻ってきます。シリア対マダガスカルの決勝を迎えるころには、記録的な数の魔法使いがめいめい化け笛を手にスタジアムを埋めていました。そして貴賓席にアイドルウィンドが姿を見せたとき——10万本の化け笛が音を立てて、一斉に元の杖へ戻ったのです。自慢の規則を嘲笑されたアイドルウィンドはその場で辞任しました。その晩は、決勝に敗れたマダガスカルも一緒になって大いに騒いだといいます[1:20]。
近年の決勝(1990年‐2010年)
| 年 | 結果 | 備考 |
|---|---|---|
| 1990年 | カナダ 270 – スコットランド 240 | シーカーのヘクター・ラモントはあと数ミリでスニッチを逃し、父スタビー・ラモントがもっと長い指をくれなかったせいだと言い放った |
| 1994年 | アイルランド 170 – ブルガリア 160 | 若きシーカー、ビクトール・クラムがスニッチを捕ったが優勝には届かなかった(詳細は後述) |
| 1998年 | マラウイ 260 – セネガル 180 | |
| 2002年 | エジプト 450 – ブルガリア 300 | |
| 2006年 | ブルキナファソ 300 – フランス 220 | |
| 2010年 | モルドバ 750 – 中国 640 |
(出典はいずれもポッターモア[3])
第422回大会(1994年)
原作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の序盤で描かれる大会です。
決勝
イングランドのダートムーアで開かれ、決勝はアイルランド対ブルガリアでした[1:21]。ハリー・ポッターはウィーズリー一家に招かれ、貴賓席から観戦しています[4]。
回次は、ルード・バグマンの開会宣言で示されます[4:1]。
「レディーズ・アンド・ジェントルメン……ようこそ! 第四百二十二回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦に、ようこそ!」
アイルランドのマスコットはレプラコーンでした。赤いベストを着て金色か緑色の豆ランプを持った小さな男たちが宙に現れ、観客席へ金貨を撒きます。もっともこの金は数時間で消えてしまうものでした[4:2]。
試合は、シーカーのビクトール・クラムがスニッチを捕ったにもかかわらずブルガリアが敗れるという結末を迎えます[4:3]。
ブルガリア 一六〇 アイルランド 一七〇
試合後の混乱
ここ数世紀でもっとも悪名高い決勝とされるのは、試合そのものではなく、その後に起きたことのためでした[1:22]。
アイルランドの祝勝のさなか、ヴォルデモート卿の支持者が魔法族を襲い、地元のマグルを捕らえて拷問したのです。14年ぶりに闇の印が空に現れ、群衆は混乱して多数の負傷者が出ました[1:23]。
事件のあと ICWQC は、極端な純血主義者を多く抱えるイギリスでの開催でありながら安全対策が不十分だったとして、魔法省を厳しく非難します。すでに辞任していた前国際長官のアイドルウィンドは『日刊予言者新聞』に、こう寄せました——「杖を禁じたのは正解だったじゃないか」[1:24]。
第427回大会(2014年)
アルゼンチンのパタゴニア砂漠で開かれた大会です。『日刊予言者新聞』はクィディッチ特派員としてジニー・ポッターを、ゴシップ担当としてリータ・スキーターを現地に送り込みました[5][6]。
出場したのは次の16か国です——ブラジル、ブルガリア、チャド、フィジー、ドイツ、ハイチ、コートジボワール、ジャマイカ、日本、リヒテンシュタイン、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、ポーランド、アメリカ、ウェールズ[1:25]。
2014年大会の日刊予言者新聞の記事は、ポッターモアに J.K. ローリング名義で連載されたものです。日本語版は現在公開されておらず、なかでも決勝の実況は日本語版が最後まで公開されませんでした。 この節では、日本語で読める記事の内容をできるだけ落とさずまとめています。
開会式(4月12日)
大会はクアッフルが一度も投げられないうちから論争に巻き込まれました。マスコットを主題とした開会式が企画され、フィジー代表のドゥクワカ(鮫と人の変身生物)のために砂漠の真ん中に湖まで造られていたのですが、式は混乱に終わります[5:1]。
魔法生物学者が事態の収拾にあたり、癒者はショック・骨折・咬傷を負った300人以上の観客を手当てすることになりました。アルゼンチン魔法評議会は、マスコットを主題にした判断が愚かで無謀だったと非難されます[5:2]。
惨劇の中心にいたのは、ノルウェーが連れてきた湖の怪物セルマでした。ノルウェーがのちに敗退したとき、多くのファンはこのマスコットに責任があると考えたといいます[7]。ナイジェリアのマスコットである吸血動物ササボンサムも観客を噛んでおり、この咬傷はのちに一つの試合結果を左右することになります[8]。
1回戦
| 日付 | 試合 | 結果 |
|---|---|---|
| 4月13日 | ノルウェー 対 コートジボワール | 340 – 100 |
| 5月14日 | ナイジェリア 対 フィジー | 400 – 160 |
| 5月15日 | ブラジル 対 ハイチ | 100 – 90(ハイチ失格) |
| 5月16日 | アメリカ 対 ジャマイカ | 240 – 230 |
| 5月17日‐19日 | リヒテンシュタイン 対 チャド | 470 – 330 |
| 5月20日 | ブルガリア 対 ニュージーランド | 410 – 170 |
| 5月21日 | 日本 対 ポーランド | 350 – 140 |
| 5月22日 | ウェールズ 対 ドイツ | 330 – 100 |
ノルウェー対コートジボワール(4月13日)— 前回の対戦は決着まで5日かかりましたが、この日は2時間で終わりました。ノルウェーの選手は、前日に自国のマスコットが起こした騒動のせいで容赦ないブーイングを浴びながら戦っています。観客がノルウェーのチェイサーに呪いをかけ、警備の魔法使いが客席へ入る騒ぎで試合が2度止まりました。18歳のコートジボワールのチェイサーが自軍10ゴール中7点を挙げています[9]。
ナイジェリア対フィジー(5月14日)— 400対10と大差がついた時点で、フィジーのシーカーが自らスニッチを捕って試合を終わらせました。点差を縮めるために負けを確定させる選択で、1994年決勝のビクトール・クラムと同じですが、相手シーカーがまだ遠くにいたため身勝手だと批判を浴びます。チームメイトからかねてエゴイストと評されていた選手でした。フィジーの監督兼トレーナーの試合後のコメントは「スヌーカの野郎、ぶっ殺してやる」の一言[10]。
ブラジル対ハイチ(5月15日)— 大会初の失格が出ました。ハイチのキーパーは序盤に30回のゴール攻勢を受けながらよく守り、最初の60分で鼻を2度折っています(うち1度は味方のビーターの誤射でした)。そのビーターが再び痛恨のミスを犯します。自軍のシーカーがスニッチを掴もうとした瞬間にブラッジャーを直撃させ、弾かれたスニッチが自分のローブの袖へ飛び込んでしまったのです。「スニッチを捕まえられるのはシーカーのみ」というクィディッチ最古の規則により、ハイチは没収試合となりました[11]。
アメリカ対ジャマイカ(5月16日)— ジャマイカのキーパーが決定的な場面で突然気を失って落下し、その隙にアメリカがスニッチを捕りました。審判がとっさに落下を止めたものの、タイミングが良すぎるとして観客による干渉が疑われ、スタジアム中の万眼鏡の記録が検証されます[12]。翌日発表された調査結果は、干渉の証拠なし。キーパーは開会式でナイジェリアのマスコット、ササボンサムに噛まれて感染症を患っていたというのが真相でした[8:1]。
リヒテンシュタイン対チャド(5月17日‐19日)— 大会最長の試合です。11時間目に選手の仮眠のため中断され[13]、2日目には憔悴が極まりました。チャドのシーカーは左眉の上に5分間スニッチが漂っていたのに気づかず、リヒテンシュタインのチェイサーは箒の上で眠り込んでいたと見られています[14]。決着は3日目。疲れ果てたリヒテンシュタインのシーカーが、相手の伸ばした手の数センチ手前でスニッチを掴みました。地面に降りた両チームは涙を流して抱き合い、全員が治療を受けています[15]。
日本対ポーランド(5月21日)— 日本のベテランビーター2人の重圧に、若いポーランドの経験不足が出ました。この2人は「史上最も優れたビーターコンビ」の選出で、1994年ブルガリア代表のコンビに次ぐ2位に挙げられています[16]。
ウェールズ対ドイツ(5月22日)— ドイツのシーカーがウロンスキー・フェイントに失敗し、時速100キロほどで地面に激突しました。癒者がその場で骨生え薬を投与して命に別状はなかったものの、全身の骨をほぼ折り、しばらく自分をクラウスという名のセキセイインコだと思い込んでいたそうです[17]。
ブルガリア対ニュージーランド(5月20日)は、手元の資料に日本語の本文がありません。英語版によれば、ニュージーランドは106分に退場者を出しており、それが410対170という敗戦の決定的な要因になっています[18]。
準々決勝
| 日付 | 試合 | 結果 |
|---|---|---|
| 6月4日 | ブラジル 対 ウェールズ | 460 – 300 |
| 6月6日 | ブルガリア 対 ノルウェー | 170 – 20 |
| 6月8日 | アメリカ 対 リヒテンシュタイン | 450 – 290 |
| 6月10日 | 日本 対 ナイジェリア | 270 – 100 |
ブラジル対ウェールズ(6月4日)— 大会でもっとも荒れた試合になりました。険悪な空気で始まり、乱闘で終わり、ウェールズ監督のグウェノグ・ジョーンズはチームのビーターにピッチから引きずり出されています[19]。
発端は、ブラジル監督ホゼ・バルボーサがリータ・スキーターとの酒の席で、ウェールズのチェイサーを「能なし魔女」呼ばわりしたと伝えられたことでした。バルボーサは冗談だと主張しましたが、ジョーンズは「呪文で顔を消してやる」と凄みます。ICWQC が監督の挑発的発言を禁じたあとも——この措置はジョーンズを念頭に置いたものと見られていました——彼女はことあるごとにブラジルをこき下ろし続けました[19:1]。
ブルガリア対ノルウェー(6月6日)— 大会屈指の番狂わせです。運よく勝ち上がったと見られていたブルガリアが、優勝候補のノルウェーを圧倒しました。38歳のクラムは「一線で戦うには歳を取り過ぎでスピードもない」と多くの記者に切り捨てられていましたが、42分、彼の突然の下降をブラッジャー回避と見た相手シーカーが目を離した隙にスニッチを取っています。ノルウェーのシーカーは地面に降りると、キーパーに助け起こされるまで何度も地面に頭を打ちつけました。ノルウェーの監督は記者に一言も発せず、ただむせび泣いていたといいます[7:1]。
アメリカ対リヒテンシュタイン(6月8日)— アメリカが準決勝へ進みました。国際大会で振るわなかったアメリカが——世界で唯一クォドポットが盛んな国です——ひとかどのチームに成長したことを示した試合でした。3日間の死闘を終えたばかりのリヒテンシュタインは不利と見られていましたが、序盤は互角に渡り合っています。試合後、大会関係者は優勝したかのように騒ぐファンと選手を静めるために走り回ることになりました[20]。
日本対ナイジェリア(6月10日)— 「ビーター対決」として記憶されました。日本のホンゴウが放った一撃がナイジェリアのシーカーの箒の穂を吹き飛ばし、味方が救おうとよそ見をした隙に日本のシーカーがスニッチを捕っています。棍棒を振り回すならず者と見られがちなビーターも、究めれば芸術家たりうる——というのが記者の評でした[21]。
オーグリーのハンス拉致事件
アメリカ対リヒテンシュタインの試合後、勝利に沸いたアメリカのサポーターが、リヒテンシュタインのマスコットであるオーグリーのハンスを拉致しました。むっつりとした大型の鳥で、大会を通じて熱心なファンを獲得していたマスコットです。リヒテンシュタインの監督は「笑い事じゃない」とドイツ語で短く声明を出しました[22]。
返還交渉はリヒテンシュタインの魔法大臣とアメリカ合衆国魔法評議会(MACUSA)議長のふくろう便による直談判にまで発展します。数日後にハンスは専用の小屋へ戻りますが、リヒテンシュタイン側は「異常が見つかれば、当然 ICWQC にアメリカの即時失格を働きかける」と釘を刺しました[23]。
もっとも、ICWQC の役員の関心は別のところにありました。アメリカの祝勝会のあと、砂漠の端に住むおよそ2000人のマグルへ大掛かりな忘却術をかける羽目になっていたのです[23:1]。
準決勝を前に — バグマンのオッズ
イングランド代表の元ビーターで熱狂的なギャンブラーでもあるルード・バグマンが、準決勝に残った4チームの勝敗オッズをつけました[24]。
| チーム | 箒 | 注目選手 | オッズ |
|---|---|---|---|
| 日本 | 矢印 | マサキ・ホンゴウ、シンタロウ・シンゴウ(ビーター) | 4倍 |
| ブラジル | ヴァ=ラピドス | アレハンドラ・アロンソ(チェイサー) | 9倍 |
| アメリカ | スタースウィーパー21 | ダリウス・スマックハマー(シーカー) | 12倍 |
| ブルガリア | ファイアボルト・スプリーム | ビクトール・クラム(シーカー) | 50倍 |
日本は国産の箒を本大会で初めて披露し、優勝候補の筆頭に躍り出ていました。ホンゴウとシンゴウのレプリカ・ローブが大会で最も売れているグッズだ、という指摘もあります[24:1]。
ブラジルは過去5度の優勝を誇りながら90年代以降低迷しており、監督が全国から若手を集めて立て直した平均年齢22歳のチームでした。アメリカは1回戦こそ相手の自滅で拾った形でしたが、準々決勝でリヒテンシュタインを破って底力を見せています[24:2]。
そして50倍のブルガリア。16強にかろうじて滑り込んだにすぎず、38歳のクラムの選出も「お情け」と見られていたチームです。バグマンの評は辛口でした——「クラムと彼のチームメートに、準決勝で日本を打ち負かすだけの力が本当にあるだろうか? 残念ながら、答えはおそらくノー、だ」[24:3]。
準決勝
アメリカ対ブラジル(7月4日‐5日)— 決勝進出のかかる重圧から凡ミスが続きました。アメリカのチェイサーは5度目のファンブルに苛立って箒の柄に頭を打ちつけ、シーカーに止められています。ブラジルは1982年以来の決勝進出を、アメリカは過去最高順位のさらに上を目指していました[25]。
決着は試合開始から20時間後。ブラジルのキーパーがアメリカの猛攻を繰り返し跳ね返したことが試合を決めます。両チームのシーカーがきりもみ状態で地面に突っ込み、一瞬どちらが勝ったのか分からないなか、ブラジルのシルバがスコアボードへ猛スピードで飛んでいきました。420対310[26]。
ブルガリア対日本(7月6日)— 近年で最多得点となる610対460の打ち合いです。試合前、ブルガリアのビーターはこう語っていました——「俺たちは大会を通して雑魚扱いだった。負けても失うものはないし、勝てば儲けものだ。ピッチですべてを出し切るだけだ」[27]。
言葉どおりの戦いぶりでした。序盤は日本のビーター2人が支配し、開始から1時間も経たないうちにブルガリアの6人が頭から出血しています。癒者のために試合が2度中断されるほどでした。それでもブルガリアは勝ち上がり、50倍のオッズを覆して決勝に立ちます[27:1]。
3位決定戦(7月9日)
日本が330対120でアメリカを下しました。短時間かつ血みどろの戦いで、アメリカのチェイサーは開始34分で2つのブラッジャーを顔に受けています。日本のシーカーは大会屈指の急降下を見せ、ブラッジャーとチェイサーを振り切り、アメリカのシーカー2人の箒を引っかけさせてスニッチを掴みました[28]。
地上に降りた両チームは抱き合い、その後、日本チームからアメリカチームへ鳳凰のひなが贈られたという知らせが届いています。アメリカのサポーターがリヒテンシュタインのマスコットを拉致した件を踏まえた贈り物でした[28:1]。
決勝
決勝はブルガリア対ブラジル。ブラジルがほぼ最後までリードしていましたが、クラムがスニッチを捕って170対60でブルガリアが勝ちました[29]。
1994年にスニッチを捕りながら敗れたクラムにとって、3度目の挑戦での悲願でした。パタゴニアの陽射しの下で2時間45分を戦い抜いた末の勝利です。勝利の瞬間には箒から落ちそうなほど涙を流していたと伝えられます。試合後、ブラジルのシルバとクラムは抱き合いました[29:1]。
この決勝は、ジニー・ポッターの試合実況と、リータ・スキーターのゴシップ記事が並行して掲載されるという形で報じられました。リータのほうは試合そっちのけで貴賓席を観察しており、ネビル・ロングボトムが飲んでいるのではないかと書いたり、テッド・ルーピンとビクトワール・ウィーズリーの様子を実況したりしています[29:2]。
ダンブルドア軍団の再会
決勝を前に、ダンブルドア軍団の面々が観戦に来ているという話がキャンプ場とスタジアムに広まると、それまでとは比べものにならない騒ぎになりました。各国の大臣や大統領、セレスティナ・ワーベック、アメリカの魔法使いバンド「羽の曲がったスニッチ」——著名人が現れるたびに群衆は沸いていたのですが、その比ではなかったのです[6:1]。
群衆が殺到してテントが押し潰され、幼い子どもが踏まれる事態にまでなりました。世界中のファンが、いまも「選ばれし者」と呼ばれる魔法使いをひと目見ようと押し寄せたのです[6:2]。
ポッター一家とダンブルドア軍団には、厳重な呪文と魔法戦士の巡回に守られたキャンプ場の特別区画が用意されました。そして決勝当日の午後3時、ハリー・ポッターは息子のジェームズとアルバスを連れて選手区画を訪れ、2人をビクトール・クラムに引き合わせています[6:3]。
このとき間もなく34歳になるハリーの黒髪には、白いものが数本混じっていました。もっとも、あの丸い眼鏡は変わらなかったといいます[6:4]。
登場・言及箇所
- 『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
- 第4章「漏れ鍋」(ファイアボルトが「ワールドカップの優勝候補」と紹介される)
- 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
- 第8章「クィディッチ・ワールドカップ」(第422回大会の決勝)
- 『クィディッチ今昔』
- 「反則」の節
- ポッターモア
- 「クィディッチ・ワールドカップの歴史」
- 「クィディッチ・ワールドカップ (1990-2014)」
- 2014年大会の日刊予言者新聞記事(開会式・1回戦から準決勝・3位決定戦・ダンブルドア軍団の再集結)
- 「クィディッチ・ワールドカップ決勝実況」
脚注
ポッターモア 「クィディッチ・ワールドカップの歴史」 ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎
『クィディッチ今昔』「反則」の節 ↩︎
ポッターモア 「クィディッチ・ワールドカップ (1990-2014)」 ↩︎
ポッターモア 「クィディッチ・ワールドカップ決勝戦にダンブルドア軍団再集結」(2014年7月8日、ゴシップ担当記者リータ・スキーター) ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎ ↩︎
ポッターモア 「ノルウェー対コートジボワール」(2014年4月13日) ↩︎
ポッターモア 「ナイジェリア対フィジー」(2014年5月14日) ↩︎
ポッターモア 「ブラジル対ハイチ」(2014年5月15日) ↩︎
ポッターモア 「アメリカ対ジャマイカ」(2014年5月16日) ↩︎
ポッターモア 「リヒテンシュタイン対チャド」(2014年5月17日) ↩︎
ポッターモア 「リヒテンシュタイン対チャド」(2014年5月18日) ↩︎
ポッターモア 「リヒテンシュタイン対チャド」(2014年5月19日) ↩︎
ポッターモア 「日本対ポーランド」(2014年5月21日) ↩︎
ポッターモア 「ウェールズ対ドイツ」(2014年5月22日) ↩︎
ポッターモア 「ブルガリア対ニュージーランド」(2014年5月20日) ↩︎
ポッターモア 「アメリカ vs リヒテンシュタイン」(2014年6月8日) ↩︎
ポッターモア 「日本 vs ナイジェリア」(2014年6月10日) ↩︎
ポッターモア 「最新ニュース」(2014年6月8日) ↩︎
ポッターモア 「アメリカ vs ブラジル」(2014年7月4日) ↩︎
ポッターモア 「アメリカ vs ブラジル」(2014年7月5日) ↩︎